もうはるか昔の小学校の頃のことなんです。
小学生って、休み時間にいろいろなことをして遊びます。
でも飽きるのも早いですから、だいたい2ヶ月くらいで次の遊び、
また2ヶ月で次の遊び……と移り変わっていきます。
そのときは自分たちのグループでは、将棋が流行っていました。
……と書きながら思いましたが、もしかしたらクラブ活動のときのことだったかもしれません。
いま思うと休み時間だけだと、1局終わらない気もしますからクラブ活動だったかな?
あるいはマグネット盤だったら簡単にサッとしまって、
次の休み時間に続きからできるでしょうから、やはり休み時間かもしれません。
とにかくまぁ、将棋をしていたんですが、その中にとっても強いやつがいたんです。
これが何回やっても勝てない、見事に負ける。
1度も勝てません。
そんな相手だったんですが、あるとき遂に追い込んだんです。
100%勝てる!!
そのよろこびに、舞い上がってしまったんでしょうね。
相手の時間稼ぎの王手を、無視して次の手を打ってしまいました。
( 将棋は敵の大将である王を取ったら勝利です )
当然自分の王は取られて、負けで終わりです。
トホホ……
こんな情けないミスとは滅多に起こらないことです。
起こらないことですが、たまに起こってしまうんですね。
こんなふうに興奮してしまったときも
喜び過ぎてほかのことが見えなくなってしまいます。
ミスをしたときも、1つのミスでショックをうけて動揺し、
次から次へとミスが起こる。
こういうのは誰でも経験のあることでしょう。
仕事でも、ゲームでも、スポーツでもよくみられることです。
……
…
ちょっと誰かに話しをする雰囲気で、書いてみました。
読んでみると、間違いや訂正がたくさんあって、違和感のある文章だったと思います。
でも、私たちはたいてい、こんなふうに言い間違えて直したり、
記憶違いを訂正したりしながら話すものではないでしょうか?
書くときとは文章を何度も訂正したりしてから、
アップしたり提出したりしますけれども、
日常の会話とは下書きを見ながら話すようなものではありません。
話しながら、話しているうちに、気づくことがあったり、
より主張を強く確信したり、ときには自分で矛盾を感じたりするものです。
これって自分の中にある「話していることの内容」が、
誰かに聞かせようと話すことで「変化することがある」ということですよね。
自分ではこうだと思っていたけれど、話しているうちに不自然な気がして考え直した。
話しているうちに、相手の立場について共感してしまい
「怒られて嫌な話」
が、
「怒られて嫌な思いをしたが、相手の立場からすると仕方がない、でも嫌だった」
と変わった。
「Aが最高だよ」と言いながら、「Bもアリだけどね」と付け足した。
こんな経験はありませんか?
つまり、自分の中にあるものを外に出そうとすることで、
1つの変化が起こる可能性があるのです。
まちがってないかな?正確かな?
よりピッタリした表現があるかも?
一度自分の外に言葉で出してみる事で
違う角度からの新たな一面を見る事ができたのですね。
日常のささいなことだけではなく、
つらいこと、悩み、これから先の目指すところ、したいこと……
このようなことを話すときも、自分の中で変化が起きることも、
十分にあることでしょう。
そうしたとき、信頼できる誰かに話してみるということは、
とても大きな意味を持つことだと思います。