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線路に飛び込む気持ちで生きていくことは可能ですか?

2017年8月21日午前6時29分頃に東京メトロ東西線茅場町駅で人身事故が起きた。日付を書くまでもなく、毎日のように人身事故は起きている。

 

多くの人にとっては「毎日起こる人身事故」であっても、

 

その事故で命を落とした人の人生は一度きりである。

 

Twitterで「人身事故」とキーワードを検索してみる。

 

「本当迷惑」

「関係ない人に迷惑をかけるな」

「急行に乗った意味がない」

「時間ずらして死ねよ」

「死ぬくらいなら会社やめろよ」

「遅刻できてラッキー」

 

こんな言葉が並ぶことも少なくはない。

 

自分が急いでいるときに、電車が遅れてしまうことでこのような感情を抱くことはわからないわけではない。

 

そして、こんな心の声に溢れているのが、今の社会を表しているようにも思える。

 

どこか「他人事」であり、自分に迷惑がかかるのは御免。

 

一人の人生が潰えたことのリアリティはそこにはない。

 

この日は私も朝から出張があったので、影響を受けた一人である。

 

もちろん、予定が狂わされた気持ちはわからないでもない。

 

しかし、以前に、乗っていた車両で人身事故が起きたり、

 

人と衝突した電車のフロントガラスが割れている様子を目撃したり、

 

血の海となったレールを目にするなど人身事故の現場を目の当たりにする経験や、

 

人身事故で家族を亡くした方のお話を伺ったりするうちに、

 

人身事故が起きた際には、最初に事故にあった方のことを想い浮かべることが増えるようになった。

 

 

電車に飛び込む前に何かできる支援はなかったのか。

 

どんなことを考えていたのだろうか。

 

何か求めていた支援があったのだろうか。

 

どんな毎日を過ごしていたのだろうか。

 

亡くなった方に直接聞くことはできないが、

 

帝京大学医学部の張賢徳先生が「自殺既遂者の90%以上が自殺時に何らかの精神障害の診断が付く状態である」

 

という話をされていたことをよく思い出す。

 

つまり、理性的で冷静な判断としての自殺は数が少ないのである。

 

そんなことを考えながら、Twitterに以下のようなつぶやきをした。

日頃ただタイムラインを流れ、多くても200人ほどの目に触れる程度の私のつぶやきが、

 

100件以上リツイートされ、9万人以上の人の目に触れたようである。

 

ここにも書いたように、駅のホームで電車を待っているときに、

 

「ふと飛び込みたくなることがあります」

「電車に吸い込まれるような感じがあります」

「今飛び込んだら、明日上司に怒られなくて済むのかな」

「飛び込んで怪我したら、会社に行かなくていいのかな」

「いろいろと、もう、めんどうくさい」

 

という声をカウンセリングの場面で耳にすることは少なくない。

 

しかし、これらの発言は必ずしも「死にたい」という言葉とイコールになるわけではない。

 

むしろ、「死にたい」と思ったことはないんですけど、と前置きをする人もいる。

 

死にたいわけでは決してないけれど、それくらいに、気持ちも身体も疲弊しきっていて、

 

どうしたらいいかわからないし、周りに迷惑もかけたくない、という状態が一つあるのではないだろうか。

 

こういう話を聞いたときに、

 

専門家は自殺についてのアセスメントを「専門家の目」で行う。

 

「死にたいという人は本当に死ぬことはない」という言葉を耳にしたことがある人は少なくないだろうが、そんなことはない。

 

 

本当に死ぬことはある。

 

その言葉を耳にしたときに、疲れているんじゃないか、

 

無理しすぎていないかと察しつつ、その方の話に耳を傾けてあげてほしい。

 

平成24年内閣府「自殺対策に関する意識調査」を見ると、

 

「自殺を考えたときにどのように乗り越えたか」とう質問に対する最も多い回答は

 

「家族や友人、同僚など身近な人に悩みを聞いてもらった」の39%であるのだ。

 

誰かに「辛い」と言えることは、本当に大切なことなのだ。

 

自分なりに頑張って、我慢をして、

 

しんどいけど、みんな頑張っているし、もう少しやろう、

 

もっと大変な人もいるし、自分なんてまだまだ大丈夫、

 

助けを求めることで周りに迷惑なんてかけたくない、

 

という人は少なくない。

 

しかし、「まだ大丈夫」が、「もう無理」に変わる瞬間は、急降下な時もある。

 

「もう無理」が、電車を待っているホームで不意に舞い降りることもあるのだろう。

 

仕事や学校、その他自分なりのしんどいことで、

 

追い詰められている人は、

 

死ぬくらいなら、それを投げ出してください。

 

でも、投げ出せない人の方が多いのでしょう。

 

だからと言って、

 

その人が助けを求めることに自己責任を負うのはいささか酷である。

 

だからこそ、周囲が声をかけてほしいのだ。

 

「心配して声をかけてくれた人がいたんです」

 

と、カウンセリングの中で嬉しそうに話す人もいる。

 

そして、自分の身は自分で守ることはナンダカンダで大事だ。

 

誰にでも、うつになる可能性はある。

 

自分の身体がおかしいと思ったら我慢はしないことが肝要だろう。

 

私は仕事においては、基本的に「最悪」を想定して動く。

 

最悪にならないのであれば、無駄骨なのではない、

 

最悪にならなかったのは、その準備が功をなしたのかもしれないし、

 

徒労だったのかもしれない。

 

いずれにせよ、最悪に至らなかったのであれば、何よりではないか。

 

最悪にならないうちに、

 

そして、「まだ大丈夫」なうちに、今の状況を抜け出すことを考えよう。

 

頑張ることは大事だが、精神論は多くの場合直接の役には立たない。

 

無理をかけすぎずに、自分にあったやり方を考えた上で、

 

自分が安定して生きるために、

 

その方法を実践することにこそ「頑張ること」が意義を持つ。

 

上記のつぶやきと違い、反応はなかったのだが、

 

ここに書いたことは大事なことであると思っている。

ぜひ、自分にあったやり方は大切にしてほしいし、

 

自分のことは自分がわかっているようで、案外わかっていないことが多い。

 

しんどい気持ちを見ないフリをしないでほしい。

 

一緒に考える人が周りにいないときは、ぜひボトルボイスを頼ってください。

 

最後に、最近住友生命のCMソング

 

「よー、そこの若いの」やドラマ主題歌「フォーエバーヤング」が話題の竹原ピストルさんが以前組んでいた

 

「野狐禅」という二人組のデビュー曲を紹介したい。

 

 

「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」というタイトルは当時ラジオなどで放送自粛になったこともあるほどの衝撃であり、

 

ギターとキーボードの二人組みでの音楽をしていた私は、同じスタイルで歌を歌う彼らのライブを拝見して衝撃を覚えたものだった。

 

竹原さんは、この動画の中で、この歌をラブソングと紹介をしている。

 

この歌は決して死を望む内容ではなく、生きることを歌った歌であると私は思っている。

 

そして、この歌の最後は、次のような歌詞で締めくくられる

 

自殺志願者が線路に飛び込むスピードで

生きていこうと思うんです

 

人身事故にまつわるつぶやきをリツイートしてくれた人の中には、

 

・自分もそうだった

・死にたいわけではないんだよね

 

などコメントを付してくれている方もいた。

 

きっと同じように感じる人は少なくないのだろうと思い、

 

補足を込めて、この文章を記すこととしました。

 

NPO法人日本オンラインカウンセリング協会   理事 中村洸太(臨床心理士)

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2017/08/27
メンタルヘルス